教育って何?大人を知らない子どもたち


教育って何?大人を知らない子どもたち


 

今回は、学校の先生には少し耳が痛い話が出るかもしれませんが、期待を込めての話なので、捉えたいように自由に捉えて頂いて貰えると嬉しいです。

 

話を進めるうえで、バックボーンはおさえておきたいという気持ちはありますが、日本の教育の歴史については、ここでは割愛します。

 

昨今、若い人の自殺や引きこもり、社会へ馴染めないことから仕事が長続きしないなど、様々な問題があります。

果たして、それは若い人たちが昔の人に比べて弱いからなのか?

忍耐力が足りない、ただの甘えなのか?

 

答えははっきり言うとNOです!

 

物事に善悪をつけることを基本的に私はしませんが、強いて言うのであれば、育てた人たち(大人)が良くないと私は思います。

子どもにとって社会性を感じる人は、親または先生です。

なので、子どもにとって非常に重要な存在であり、人生を左右するほどの大きな影響力を果たします。

 

反対の立場になって考えてみましょう。

何も知らない子どもが常識を学ぶための手本はどこにありますか?

親や先生が間違った常識を教えてしまえば、子どもの常識は間違ったものになるのは当然です。

 

正しいことを伝えたつもりでも、子どもが正しく理解しているかを確認しなければ、それは間違ったことを教えているのも同然です。

そうして間違った理解のまま大人になり、社会に放たれたとき、多くの人が社会に馴染めるでしょうか?

自分の中に根付いた間違った常識を覆すことは非常に大変なことです。

 

なぜなら、当たり前のこと・普通のこと・仕方の無いことと、自分の中で思い込んでしまっているからです。

それを大人になってから変えようとするのは、容易でないことは想像できると思います。

 

では、なぜ昔の人はそこまで挫けることが少なかったのか考えてみましょう。

 

大きな要因を2つ挙げるとすれば、

「核家族」と「プライバシー保護のデメリット」

この2点に集約されると思います。

 

核家族化が進めば、子どもを叱咤激励してくれる親類は離れ、子どもの身近な存在に大人を感じる機会が少なくなります。私自身も転勤族だったので、親類はみな九州で簡単に会える距離にはいませんでした。

 

そうすると、正しい大人と間違った大人の見分けが正しく出来ないこととなります。

比較対象が限られてしまうのです。もしくは、親に限定されてしまうかもしれないのです。

 

また、プライバシー保護が重要視され、そればかりに目が行くようになると、自分を開示できる場が少なくなってしまいます。

不謹慎なことを言えば、子どもが行方不明になったとき、

 

「~さんの子どもがいなくなったけど、子どもの顔知らない・・・」

「その子はよく遊びに来るけど、親の顔は知らない・・・」

「そんな子知らないし、放っておこう・・・」

 

などという状況になるのは必至です。

今では、子どもの連絡網も回さないようになっている学校ばかりのようですが、

私たちの子どものころは、家の固定電話の前で、

 

「緊張する、えっと、何て言えばいいんだっけ??」

「友達の親が出たらどうしよう・・・」

 

そのように、友達の親ではありますが、大人と関わる機会がありました。

 

また良くないことに、善意で子どもに挨拶しても、警戒され親や近所の人が通報してしまうことも少なくないようです。

そうなると、子どもは大人と触れ合う機会はますます減ってしまいます。変な人なのか、まともな人なのか、子どもなりのフィルターで人を判断する前に他の大人がそれすらも拒めば、いったいどこで大人を理解すればいいのでしょうか?

 

最悪、大人=学校の先生か自分の親しか知らない子どもに育つのです。

そのように育ってしまえば、大人になって自分が何をしたいのか分からなくなってしまいます。本当に自分のしたかったことが一生見つからず生涯を終えることになるかもしれないのです。

 

昔の人は、憧れの大人がいたり、反面教師にする大人がいたりと、たくさんの大人たちを見て育ってきました。

教育とは、教えるつもりで教えた物だけでなく、意図せずとも、「子供の成長のきっかけに繋がる関わり」もまた教育なのではないでしょうか?

 

今の学校の先生の中には、社会(学校以外)に出ることなく学校の先生になる人が多い現状です。

もちろん、大人としてのマナーは十分に備えていますが、学校以外の世界をあまり知らない先生も少なくないはずです。教職員になるには門戸が狭いというのも課題になるでしょう。

 

そういった先生だけで、子どもの可能性を広げる教育は果たして出来るのか、疑問に思います。そこまで求めるのは、完全にオーバーワークです。

とまあ、社会のシステムを嘆いていても、子どもにはプラスに働くことはありません。

 

大事なのは今一度、われわれ大人たち一人一人が子どもの可能性を広げ、すくすくと成長できるような関わりを真剣に考えていくことではないでしょうか。

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