ルールや制度を疑え!!どうして決まり事を作るのか
あなたの学校や職場、もしかすると家庭にもルールってありますよね?
しっかりと制度として機能しているのか、はたまた暗黙のルールとして共通認識を持っているのかどちらでも構いません。
そもそもルールってどのような時に決めますか?
例えば、友達間のルールだとしたら、
「集合場所はいつもここにしよう!」
「あいつは遅刻癖があるから、連絡するときあいつだけは集合時間の30分前を伝えよう」
「ご飯の奢り合いは、ちゃんと交互になるようにしないと・・・」
このようなルールというのは、グループや2者間を気持ちよく過ごせるように決めたものだと思います。
気持ちよくというのは、誰かが不満や不都合を感じないことや、ルールを守ること自体が負担に感じないようになっているということです。
ルールがしっかりとグループ間で共通認識されると、言葉にしなくても皆がルールに従って動くことになるので、今まで以上に関係性が深まることでしょう。
他にも様々なルールを作ることの利点はあると思いますが、基本的には、
「みんなの幸せを考えて」
というところが大前提にあると思います。
しかし、しばしば人はルールに苦しめられることがあります。
ルールに縛られてしまうことで、かえって居心地が悪くなり、息苦しい思いをするかもしれません。
ルールを守るために、ある程度の我慢が必要かもしれませんが、その我慢がストレスになるほど大きなものになっているかもしれません。
こうなると、その人はルールに対して幸せを感じるものと捉えられなくなりますよね?
または、新しいコミュニティ・グループに入った時に、
「なんか面倒くさいな・・・」
「こんなことにまで、決まりごとがあるの?」
「なんだか自分のイメージと違うな・・・」
などと、グループに入ることに抵抗感を持たせるものになっているかもしれません。
多種多様な人をグループに引き込みたいときは、ルールを少なくする方がいいかもしれませんね。
企業の採用条件なんかもルールになるでしょう。
大卒や必要資格、実務経験なんかを必須のものとすれば、応募する人の数は絞られ、多様性は必然的に小さいものになります。
企業に関しては、プロの集団として一定の条件というのは必要だと思うので、そこに異議は示しませんが、
「企業風土を変えたい」ということが、テーマであれば多様な人が集まるようなルールに改変する必要があることでしょう。
この考えは、何も企業だけでなく、家族間や友人間でも通用します。
なんかどことなく、ギスギスした感じがあってそれを変えたいとするならば、
今まで、発言や行動が抑圧されていた人が、自由に出来るようにルールを緩くすることでグループ全体の認識が変わるかもしれません。
見えなかったものや、気付かなかったことが表出するかもしれません。
そういった考えを汲んで作った新しいルールは、きっと今まで以上にいいものになることでしょう。
ここまでの話を聞くと、
「ルールなんて壊してやる」
「そもそも作らなければいいのでは??」
このように思うかもしれませんが、ここで話を戻します。
ルールというのは、
「みんなの幸せを考えて」
というテーマの下、出来上がったものなのです。
なので、自分だけの都合で何でもかんでもルールなんていらないと、思っていても、
そのルールによって実は、あなたはもう守られているかもしれないということは考えなくてはなりません。
その点を踏まえて、やっぱりおかしいと思うのであれば、きっとそのルールはおかしいです。
その想いは、誰かに伝えた方がきっとグループのプラスになるはずです。
だって、グループの一員である以上、皆は味方なのですから。
ここで、1つ曖昧にしていたことについても言及しておきましょう。
ルールを守るうえで、多少我慢が必要と話しましたが、
どの程度の我慢なのか、
それは、あなたが「ルールを守りたい」と思える内は、我慢の範疇に入ると思います。
ルールに対して、価値や意義 > 自分の我慢 であれば、そのルールは大事にすることがいいと思います。
賛否両論あると思いますが、私はこのように考えています。
完全なる余談ですが、私は家族間や友人間にルールは持たないようにしています。
だって、自由に楽に生きたいから(笑)