現実を見ることのすすめ
今回の記事は、私の「現実を見る」という言葉の捉え方についての私見になりますので、「うーん、そうは思わないな・・・」という方も、そういう見方をする人がいるのかという心構えで読んで頂けると良いかと思います。
さて、「現実を見る」の現実って何でしょうか?
周りの人が当たり前にやっていること?
周りの人が当たり前に感じている感覚?
突拍子もない夢ではなく、みんなが考える夢?
うーん、どれも何か人の視線を意識しているような気がします。
こうしてみると、現実は常識と置き換えられるかもしれませんね。
いずれにしても、人の夢や希望を打ち砕いてしまう表現のように聞こえてならないのです。
大多数の考えが正義ということはなく、少数意見から世界は飛躍的に発展してきました。
ガリレオもさぞ辛かったことだと思います。
(ガリレオ=ガリレイ:地動説を唱えた人、「それでも地球は動く」の言葉が有名)
自分が思い、考え、自分で研究した結果を誰も平等に見てくれない。
自分の努力を誰も認めてくれない。
疎外感や絶望感があったでしょう。
最終的には、みんなから除け者にされ、生涯を終えます。
でも、みんなガリレオみたいなところを持っていませんか?
自分が感じたことから、行動に移したら、それが少数意見だったために、他の人に無下にされた経験はありませんでしょうか?
もちろん人間関係の中で、自分勝手に人を傷つけたり、貶めたりすることは良くないことです。
ただ、自分が感じたことや努力したことについて、受け入れられないからといって、簡単に非難したり、除け者にするのはどうなんでしょうか?
もし、そうなることが予期できた時や自分の意見が人と違うと思った時に、すぐに多くの人の意見に同調して、自分を押し殺すことが現実を見ることなのであれば、私はそんな現実見たくはありません。
そういう環境や人に働きかけて、無くすよう関わっていきたいです。
しかし、悲しいことにそうした多数派の声が大きく強いという環境はかなり多いです。
それも大人の世界の方が子どもの世界に比べて質が悪く、なかなか改善されないでしょう。
皆さんの子どもの時を思い出して下さい。
子どもの多くは素直です。
自分の感じたことや、思ったことは、何かしらの形で表現します。
目がキラキラしたり、声が大きくなったり、すぐに行動に出たり・・・
まさに今を生きているというような印象を受けます。
ただ、大人の世界では、風習や風土、慣例や規則によってがんじがらめです。
子どものように何でもかんでも素直に表現していては、淘汰されてしまいます。
しかし、感じる気持ちに関しては、大人も子どももさほど大きくは違わないと思うのです。
よく言われる子どもの心を忘れてしまったというのは間違いで、持っているけれどその心を出す場所が無くなっているということだと私は思います。
この子どもの心は、カウンセリングの世界でも非常に重要な感情で、その心は間違いなくあなた自身の心です。
大多数がかわいそうと思うから自分もそう思う、大多数が楽しそうだから自分も楽しいと思うようにする。
そんなのは、あなたではありません。
私が見ると、心と身体があたかも分離しているように見えます。
そんな生き方、つまらないでしょう?
そんな生き方、苦しいでしょう?
だったら、答えは1つだけ。
自分を取り戻すのです。
そのお手伝いがカウンセリングというものです。
今回の記事をまとめるならば、
現実を見るではなく、今を生きて!!
というところでしょうか?
自分を素直に出すということは、本当に気持ちがいいことですよ!?
うつ病歴3年。カウンセリングによって症状が寛解した体験を持つ。
現在は産業カウンセラーとして、個人のカウンセリングからメンタルヘルスの研修講師、行政(静岡県・静岡市)の相談員を務める。
「カウンセリングをもっと身近に」をテーマに押し付けない、負担にならないカウンセリングを心掛けています。