- 何のために働くのか
- 何のためにやらないといけないのか
- 何のために生きるのか・・・
相談者の話の中で度々上がる「何のために~」。
かく言う私も「何のために」が分からないとモヤモヤしてしまう性分なので、時折息苦しさを感じているのかもしれません。
今回は雑記に近い内容になるかもしれませんが、読み物としてお付き合い頂けると嬉しいです。
目的が無いと人は動けない!?
意味も分からずやることなんてやる気も出ないし、やっていても不安を感じてしまいますよね?
でも、ふと思うのです。無意識にやることはあるなと。
勉強なんかでも好きな科目は自然と勉強時間が増えますし、食事も好きなものを注文したり買ってしまいます。
そこに目的意識はあまり感じませんよね。
好きなことは自然と求めますし、嫌いなものは自然と遠ざけてしまう。
つまりは、何のためにが分からず手につかないと感じている人は、単にその取り組むこと自体が嫌いなだけかもしれません。
案外、人は考えて行動するよりも本能で行動していることが多いのかもしれませんね。
目的を持つと楽しくなくなる!?
とある美術の先生がこんな事を言っていました。
「生徒さんが絵を描いた時に「何の絵を描いているのか」を尋ねてはいけない」
最初は良く分からなかったのですが、話を聞いていたら見えてくる部分がありました。
「何の絵を描いたか尋ねると、自由が無くなってしまいます。大きくなるにつれて上手に描こうとか。コンクールで賞を取ろうとか。私は『絵を描くこと』を楽しんでもらいたい」
そうか!
今このブログを書いていて気付いたのですが、目的があると自由を奪われる感覚、、確かにありますね。
私の開業当初は0スタートだったので、金銭面では不自由でしたがカウンセリングが出来ることに充実感を感じていました。
それが今は仕事になっていて、数字を気にしたり、相談者のニーズに応えられるよう研鑽したり・・・
純粋にカウンセリングを楽しむ心を忘れていたかもしれません。(もちろん遊びではありませんが・・・)
理にかなったことをすることも大事なことですが、不器用であっても今にとことん夢中になることも大事なことですね。
目的や意図を持つ動機を深堀してみる
今この記事を読んでくださっている方の中には、目的や意図が無ければ動けないという人も多い事でしょう。
- 何のためにやる仕事か分からないと手が進まない
- 成果の見込めないこと、無駄なことは嫌い
今思うと病前・病中の私は本当にそのような感じでした。
では、そのような思考回路に至るにはどのような気持ちがその背景にあるのでしょうか。
以下は私の場合は、ということになりますが、
- 失敗を恐れている、プライドが高い
- 人に指摘されたり、人を怒らせたりしたくない
- 自分の中で納得できるまでやれないとモヤモヤする(完璧主義的な思考)
- ヒマなこと、時間を持て余すことがもったいない・悪い事だと思っている
- 自分を信用できない、自信が無い
このような思考や感情がぐちゃぐちゃになっていたのがまさにメンタル不調の時でした。
1つずつ自分の考え方や捉え方を疑ってみて、別の考え方や今までしなかった行動を取ることが出来れば、新しい自分にアップデート出来るかもしれませんね。
最後に
今、このブログを書いている2022年6月9日は私の33歳の誕生日です。
時折昔の悪い癖で、「何のために生きているんだろう」なんて不毛なことを考えてしまうこともたまにあります。
いやぁ、もう疲れました!
そんなこと生涯を終える直前に思いを馳せればいい話ですもんね。
もし、この記事をお読みの方で「何のために」で囚われている人がいましたら、その考え方から脱却できるよう私と一緒に考えてみませんか?
うつ病歴3年。カウンセリングによって症状が寛解した体験を持つ。
現在は産業カウンセラーとして、個人のカウンセリングからメンタルヘルスの研修講師、行政(静岡県・静岡市)の相談員を務める。
「カウンセリングをもっと身近に」をテーマに押し付けない、負担にならないカウンセリングを心掛けています。