人生のレールから脱線して初めて見える景色
あまり自分語りをするのは、相談者に先入観を持たれてしまう一因となるので、控えようと努めていますが、この記事を読む人が少しでも参考になれば幸いなので、興味がある方は、少しお付き合いください。
子どものころによく将来の夢なんて聞かれますよね?
小さい頃は、各々様々な夢を抱えて生きていると思います。
しかし、成長するに連れて、なんとなく現実のようなものが見えてきて、なんとなくこの道筋で生きていくのかと方向性を決めていきます。
例えば、普通に大学へ進学し、企業に入社、そののちに結婚して子供を授かって、仕事は徐々に昇進・昇給していって・・・
休みは家族と過ごして、たまには子どもを預けてパートナーとデートして・・・
子どもとはぶつかり合いながらもなんとか自立してもらえて、孫の顔を見て安心して、パートナと最後の時を待つ・・・
このような感じでしょうか?
文字にすると非常につまらない人生のように感じます。
予定調和というか出来レースというか・・・
それもそのはずです。
一本の敷かれたレールを進むだけでは、進行方向は予期できますし、レール付近の景色も容易に想像できてしまうからです。
子どものころは、新しいものや初めてすることなどがたくさんありましたが、大人になればそういった刺激というのは、年々減っていきます。
また、そういった新しいことをすることに対して向かっていくエネルギーが足りないことや、周りの目を気にしてそういった欲求を抑え込んでしまうことや環境的に諦めてしまうことも多々あることでしょう。
でも、そういう時は脱線してみると面白いかもしれません。
脱線した電車は非常に目立ち、人を遠ざけてしまうでしょう。
そんなことを気にしていてもしょうがないです。
脱線した電車は修理を受けまた走り出せばいいのです。
走り出すレールはもとに戻らなくても構いません。全く違う線路を進んでみてもいいと思います。そこにはあなたの想像しえなかった世界が待っていることでしょう。
もとのレールに戻ったとしても、道の先には今まで見えなかった分岐点が見えてくるかもしれません。
人生に楽しみを求めたいのであれば、時にはレールから外れることも必要だと感じるのです。
よく人生山あり谷ありと言いますが、谷が無ければ、山は映えないのです。
または、ジャンプをする前に屈みこまないと上には飛べないのです。
かなり抽象的な話を進めてきましたが、何か感じるものはありましたでしょうか?
私は、人生に本当に絶望し、人にも絶望し、夢や希望なんて口にするなんて馬鹿なことだと考えていた時期もありました。
自分を含めてみんな消え去ってしまえばいいと本気で願っていました。
今苦しんでいる方の中には、同じようなことを考えている人も少なくないと思います。
でもちょっとだけ待ってください。
子どもの時に馬鹿みたいに笑った時を思い出しながら、本当にしたいことをしてから世の中に絶望しましょうよ。
どうせ命を絶つなら、笑顔で去りたくはないですか?
きっと、あなたを笑顔にするものは、まだたくさんありますよ。
人生捨てたもんじゃないんです。
さて、ここまで読んで下さると、察しの良い方は私の影の部分を感じ取ってしまったでしょうけども、普段は光のような存在です。
正確に言うと影が進化した光、影の気持ちを知っている光とでも言いますか。
あなたも常に光である必要はありません。
時には影を出しましょうよ。
私はあなたの全てを受け止める気持ちで接します。
人生の明暗をさらけ出し、いろんなレールを楽しみながら走り、自分の想像をはるかに上回るゴールを探しに行きませんか?
終着駅はどこになるのでしょうかね・・・?