今回の記事は漠然とした内容になっていると思いますので、暇な方はお付き合い頂ければと思います。
将来や未来を想像するのはつまらない事?
子どものころによく将来の夢を聞かれますよね?
小さい頃は、各々様々な夢を抱えて生きていると思います。
成長するに連れて、なんとなく現実のようなものが見えてきて、なんとなくこの道筋で生きていくのかと方向性を決めていきます。
例えば、普通に大学へ進学し、企業に入社、そののちに結婚して子供を授かって、仕事は徐々に昇進・昇給していって・・・
休みは家族と過ごして、たまには子どもを預けてパートナーとデートして・・・
子どもとはぶつかり合いながらもなんとか自立してもらえて、孫の顔を見て安心して、パートナと最後の時を待つ・・・
このような感じでしょうか?
文字にすると非常につまらない人生のように感じます。
予定調和というか出来レースというか・・・
それもそのはずです。
一本の敷かれたレールを進むだけでは、進行方向は予期できますし、レール付近の景色も容易に想像できてしまうからです。
分岐のない人生のレールを想像するのは非常につまらない事なのかもしれませんね。
レールは自分で引いた?親に引かれた?
子どもは親に育てて貰わなければ生きていくことが出来ないので、親の言いなりになったり、親が満足しそうな言動をするようになることもあります。
あるいは、親の期待を子に背負わせることもあるかもしれません。
そうなると自分の人生なのに、親に人生設計をさせられたと感じる人も少なくないでしょう。
それにも関わらず何か失敗をすれば、「お前のやり方が悪い!」・・・
もうどうしろっていう話ですよね。
いっそのこと親に認められなくとも自分の信じた道をがむしゃらに突き進むのもいいかもしれませんよ。
ただ、それで失敗したり辛い思いをしてもこれは自分の責任。
都合の良い時だけ親の手助けがあると期待はしない方がいいでしょう。
自分で考え、自分がチャレンジをして、失敗して、そしていつか成功する。
遠回りに感じることもあるかもしれませんが、それがその人なりの最短ルートなのだと思います。
人生のレールから脱線すると・・・
脱線した電車は非常に目立ち、人を遠ざけてしまうでしょう。
そんなことを気にしていてもしょうがないです。
脱線した電車は修理を受けまた走り出せばいいのです。
走り出すレールはもとに戻らなくても構いません。全く違う線路を進んでみてもいいと思います。そこにはあなたの想像しえなかった世界が待っていることでしょう。
もとのレールに戻ったとしても、道の先には今まで見えなかった分岐点が見えてくるかもしれません。
人生に楽しみを求めたいのであれば、時にはレールから外れることも必要だと感じるのです。
私も人生のレールから何度か外れました。
浪人したり、うつ病を患ってニートを経験したり・・・
その時は地獄のように辛い日々でしたが、脱線せずに頑張ろうとしてもいつか限界は迎えていたように感じます。
よく人生山あり谷ありと言いますが、谷が無ければ、山は映えないのです。
ジャンプをする前に屈みこまないと上には飛べないのです。
レールから外れることは間違いなく何かを大事なものを得られるチャンスなのだと思います。(そう自分に言い聞かせているのかもしれませんが)
自分は異端だと感じることもあるかもしれませんが、異端で上等です。
最後に笑うことが出来れば、平坦な人生を送る人よりもよっぽどドラマチックな人生になるでしょうね。
カウンセリングにレールは不要
これは個人的な考えですが、カウンセリングにカリキュラムのようなレールは不要だと思っています。
確かに理屈や理論も大事ですが、対象となるのは人間であり感情です。
見立てはあっても、それが絶対になることなんて1度も無いですからね。
よくみなさん、「元に戻りたい。あの時に戻ってやり直したい。」と仰るのですが、
元に戻っちゃダメです。
先に進まないとその線路は脱線する一途です。
回り道だっていい、遠回りだっていい。
いろんなレールを楽しみながら走り、自分の想像をはるかに上回るゴールを探しに行きませんか?
終着駅はどこになるのでしょうかね・・・?
脱線しても大丈夫だと実感を得た私の終着駅は昔悲観的に捉えていたことが嘘のようにワクワクしたものになっていそうです。
私は今日も次に走り出すまでの猶予期間となるカウンセリングを行おうと思います。

うつ病歴3年。カウンセリングによって症状が寛解した体験を持つ。
現在は産業カウンセラーとして、個人のカウンセリングからメンタルヘルスの研修講師、行政(静岡県・静岡市)の相談員を務める。
「カウンセリングをもっと身近に」をテーマに押し付けない、負担にならないカウンセリングを心掛けています。