最近発達障害の関連書籍を読み漁っていたですが、ふと思うことがありました。
何で出来ないことや苦手な事=ダメと決めつけてしまうのでしょうか。
学校や家庭では、みんな(多数派)が出来ていることを出来なければそれが悪になってしまう。
人には得手・不得手があるなんて調子の良い事を言っていても不得手な人が多い人に対しては不寛容な世の中。
出来ないことや、苦手なことを恥ずかしがらずにオープンに出来るようになればどれだけ多くの人が救われるのか考えてしまいます。
出来ない・無理はその人のチャレンジする気持ちを折る言葉
・「何でこんな簡単なことも出来ないの!!」
・「あんたにはそんなこと無理だよ!」
職場や家庭でこんなこと言われ続けると、もうチャレンジすることを諦めてしまいそうになりますよね?
人は失敗から多くのことを学ぶことが出来ます。
それなのに失敗した人に対して、嘲笑したり、叱責したりと踏んだり蹴ったりな対応をされてしまいます。
「PKを外すことが出来るのは、PKを蹴る勇気を持った者だけだ」
サッカーにこんな名言があったと記憶しています。
何かにチャレンジ出来るということは出来に関わらずそれだけで賞賛されるような立派なことなのだと思います。
いい子でいるとしんどくなる
カウンセリングを利用される方で多くの場合、幼少期にとてもいい子でいた方が多いように感じます。
この「いい子」という捉え方が難しいのですが、苦しくなる方の多くは、「親にとって都合の良い子」というケースが多いかもしれません。
私も2児の父なので「うちの子は手がかからなくて本当に助かるわ!」なんて聞くと本当に羨ましい。
その反面、駄々をこねられるということはそれだけ私たち親を信用しているのかな?とも思えます。
子育て関係の話になると趣旨から逸れそうなので、このあたりにしておきますね。
小さい赤ちゃんからお年寄りまで、人が怒りを感じるのは自分が思い通りにならなかった時です。
いい子でいるということは、親の思い通りになろうとしてきた子どもたちなのかもしれません。
自分の能力や気持ちを隠したままに・・・
自分に優しくするためには他人に寛容になること
私がうつ病を発症した時にとても辛い思いをしたのは、うつ病をはじめ精神疾患を持った人に対して不寛容だったからかもしれません。
・精神疾患になる奴なんて、どうせ陰キャだし、気合が足りないやつだ
・頭のおかしい人がなるんだろうな
・自分には全く関係のない話で、関わることもないだろう
こんな固定観念を持って、自分も発症したものですから、病気を受け入れるに受け入れられなかったのでしょう。
これがもし、精神疾患を持っている方たちに寛容であれば、きっと病気を素直に受け入れることが出来たかもしれません。
家族は変わらず不寛容だったと思いますが・・・(これも仕方ないんですけどね)
皆さんの中にも、付き合うのが苦にならない人と我慢して付き合う人と、関わりたくない人などいるでしょう。
もし、自分に対してムチを打ってしまうのがクセになっている人や生き辛さを感じているのであれば、勇気を出して他人に寛容になってみましょう。
きっと、自分の生き方や性格にも寛容になれると思いますよ。
出来ないことを苦手と言える勇気を持ちたい
これは個人個人で捉え方が違うかもしれませんが、「出来ない」という言葉を使うと諦めや0を連想してしまいます。
そこで「苦手」という言葉に置き換えると、苦手なりにチャレンジできるような可能性が見えてくる気がします。
私のカウンセリングルームでは、面談の最後の方に課題(意識して欲しいポイント)をお伝えするようにしています。
きっと、意識して欲しいポイントは相談者の方が今までしてこなかったことになると思います。
なのでその出来・不出来は全くに気にしておらず、チャレンジ出来たかに重きを置くようにしています。
*課題が出来なかった場合は、私のハードル設定のミスなので修正します=怒りません(笑)
親子や夫婦、職場の人間関係などあらゆる場面において、自分や他人に寛容になれないと問題が生じるでしょう。
些細なストレス程度で収まっているのであれば問題ないですが、ストレスもしっかり発散しなければ蓄積していきます。
ここでは、どんなお話をされても構いませんし、あなたの出来ないを馬鹿にすることも決してありません。
ゆっくり相談者のペースに合わせて、出来ないにチャレンジできるようサポートさせて頂きますね。
うつ病歴3年。カウンセリングによって症状が寛解した体験を持つ。
現在は産業カウンセラーとして、個人のカウンセリングからメンタルヘルスの研修講師、行政(静岡県・静岡市)の相談員を務める。
「カウンセリングをもっと身近に」をテーマに押し付けない、負担にならないカウンセリングを心掛けています。