先日、とある相談者の方から『セクシャリティ分析 anone』というサイトを教えて貰いました。
性に関する相談、夫婦の性生活、恋愛相談など、カウンセラーの仕事をする中で広く性に関するテーマが話題に上がることがあります。
そのような相談を受ける中で、私自身、
・何で男に生まれたのだろう?なぜそれを素直に受け入れられたのだろう?
・なぜ、異性を恋愛対象として見ているのだろう?
などなどいろんなハテナが浮かぶようになりました。
今回、こちらのサイトで実際に診断して気付かされたことや、感じたこと、考えたことなど共有させて頂ければと思います。
夫婦関係、恋愛など人間関係にも言及されていますので、ぜひ読んでみてください。
診断をしてみて
まず、セクシャリティの数の多さに驚きました。
心の性や表現したい性、恋愛指向・性的指向。
組み合わせは2000通りもあるそうです。
かねてからLGBTQの「Q」の人の枠が大きすぎてぼやけているように感じていましたが、
そのような方たちもこちらの診断を受けると何か見えてくるものがあるかもしれませんね。
実際に検査をしてみて結果は、納得のいく答えばかりでした。
特に表現したい性が男性でも女性でもないアイデンティティ=ノンバイナリーというのは、
言語化できなかったものが言語化出来てすごくすっきりしたような気持ちになりました。
どのような切り口であったとしても、自分のことを知るというのは大事なことのような気がしています。
完全な自己理解は出来ないにしても、自分のことをよく知ることが他人のことをよく知ることに繋がるような気がするからです。
普通とは何なのか!?
今でこそ、パートナーシップ制度など性的少数者のパートナーも認められつつありますが、
それでもなお少数派の人は変な目で見られてしまうことが多々あります。
これは性的少数者に限った話でもないです。
本人の気質・特性が多数派ではなく少数派であったり、合わせようとしても難しい事があれば、
・「こんなことは普通1回やれば分かるのに」
・「みんなは出来ているのに」
・「そんなの気持ちの問題でしょ!?」
などなど酷い言葉をかけられたことがある人も少なくないでしょう。
普通・常識・正義・みんなはなど一般化するような言葉がありますが、その言葉の前に大事な前提があることを忘れてはいけません。
それが、「私の」という言葉です。
私の普通、私の常識、私のコミュニティの中でのみんなは・・・
これが正しい表現になろうかと思います。
普通はみんながそれぞれ持ち合わせているもので、必ずしも一致することはありませんし、また一致させる必要もないのかもしれません。
なにで愛を測ればよいのか?
夫婦カウンセリングや恋愛相談を受けると毎回考えさせられることがあります。
それは、何を持って愛を測るのかということです。
どうも愛し方の違い、セクシャリティの違いからすれ違いや問題に発展しているように感じられます。
・家族のために一生懸命働いてお金を稼ぐ
・パートナーに負担をかけまいと、自分のことを後回して相手に尽くす
・愛情表現のある言葉を用いる
・セックスやボディタッチによって愛を確かめる
どれもこれも愛の表現方法の違いがあるだけで、そこに確かな愛はあります。
でも、相手と自分の愛し方に違いがあると本当に自分は愛されているのか不安になってくることもあるでしょう。
特に精神的に不安定な時やストレスがあって疲れている時などはよりその不安は膨らみそうです。
私もうつ病を患っていた時は、
・どうせ自分は誰からも愛されていない
・何でこんな自分なんかと友達でいてくれるのか分からない
・そんな自分自身も好きになれないし、許したりは出来ない
こんな不安や自責の念が四六時中ありました。
でも、このような問答を繰り返していても答えって出ないんですよね・・・
そこで心の支えとなったのが、自分の話を聴いてくれる人たちです。
妻、友人、職場の人、カウンセラー、病院の先生。
時には立場の違いから苦しい事を言われることもありましたが、それでも話を聴いて貰えると安心したり気が紛れたりしました。
そこには形容しがたい愛のようなものもあったように思います。
恥ずかしい話、ぼくは愛に飢えていたのかもしれませんね。
いや、人はみんな愛に飢えているのかもしれません。
愛し方の違いだけで分かり合えなくなってしまうのは、残念なように思いますので、
お互いの言葉や気持ちを尊重し合う愛も大事にして欲しいなと実体験から思いました。
他人に分かって貰おうと頑張り過ぎない
前段は愛し愛されと相手が必要な場合の話でしたが、最終的には自分自身がどう捉えるかというのも大事になります。
私が行き着いた楽な生き方は他人に頑張って分かって貰おうとしないことです。
人それぞれ感覚や価値観、感情や思考などオリジナルな部分を必ず持ち合わせています。
例えば、僕はパン粉のかかったグラタンが嫌いなのですが、好物だという人もたくさんいるでしょう。
パン粉の香ばしい香りが生理的に受け付けずにリバースしそうなほど苦手なのですが、それを分かって貰おうと力説しても無意味ですよね。
話したところで、「本当に美味しいものを知らないから!」なんて言われて勧められようものなら発狂ものです。
例えが食の好みなので、絶対に分かって欲しいと思わなくても済みますが、
パーソナルな部分で自分のコアだと思う部分があれば、
それを身近な人には知っておいて欲しいと思う気持ちは自然に沸き上がると思います。
しかし、感覚や感情、価値観や考え方の違いから自分のことを100%分かって貰うことは出来ません。
その自分だけの感覚などは自分だけがしっかり分かっていればいい事なのかもしれません。
多数派だから幸福、少数派だから不幸とは限らない
今回、セクシャリティの診断テストをしていろんなことを考え、感じました。
今、自分で書いた文章を読み返してみると伝えたいこと良く分からないですね(笑)
疲れているのかな~・・・
まあ、いつもながら強引なまとめですが、どんな人でも大丈夫!ってことが伝えたいことです。
ただ、自分を傷つけたり、他人を傷つけたりはして欲しくないです。
私が愛の伝道者になるのは難しいかもしれませんが、私なりの愛を持って今日も相談者の方に向き合おうと思います。
2021年も本当にありがとうございました!
「どんな悩みも大丈夫」
頼りないカウンセラーかもしれませんが、私も頑張って一緒に考えますので引き続きよろしくお願いします。
うつ病歴3年。カウンセリングによって症状が寛解した体験を持つ。
現在は産業カウンセラーとして、個人のカウンセリングからメンタルヘルスの研修講師、行政(静岡県・静岡市)の相談員を務める。
「カウンセリングをもっと身近に」をテーマに押し付けない、負担にならないカウンセリングを心掛けています。