人と比べて苦しむより、自分の理想と比べて苦しめ!
タイトルが命令口調で申し訳ないですが、今回は生き方を楽にするかもしれない考えを紹介します。
一流のスポーツ選手のインタビューでよくこんなやりとりがあります。
「あなたのライバルは誰ですか?」
「ライバルはいません、強いて言えば自分がライバルです。」
これは、一流だから自分の能力が誰にも負けないということで、言っている訳ではありません。
なので、聞き方を変えて注目している選手と尋ねられれば、何人かすぐに挙げてくれると思います。
注目している選手=ライバルではないのか、と思う方もいるかもしれませんが、そこには明確に違いがあるのでしょう。
注目している選手というのは、自分の基準の中である程度能力を持った人間だと認めている人を指します。
しかし、ライバルになるとスポーツ選手としては、打ち勝たなければならない相手として認識している人が多いと思われます。
果たして何に打ち勝たなければならないのか・・・
仮に注目している選手としても、その選手とは運動能力も違えば、思考も違うし、勘の良し悪しなんかにも違いがあるでしょう。
ある一部をその選手より優れるようになったとしても、勝てているかどうかは疑問です。
数字や結果を上げていればいいというのも少し違うように思います。
(プロとしての、結果は求められてしまいますが・・・)
そうであるならば、戦う相手は自分しかないのではないでしょうか?
もしくは、自分の理想とするところとの戦いかもしれません。
私も今まではこんなこと考えもしませんでした。
しかし、紆余曲折あって「カウンセリングを身近なものにする」という誰も達成していない目標を掲げた時に、どこか苦しさから解放されたのです。
憧れの人や追い付かなければならない人がいないので、あくまでも目標が自分のイメージした自分になっているのです。
もちろん、大きいことを言えば人からはそんなの無理だよとか、嘲笑されるようなこともありましたが、別にそのような人たちに勝とうとしなくてもいいので、あまり落ち込むこともありません。(人格否定など、言い方によっては傷付きますからね。)
誰かと比べてしまうと、どうも私も含めて多くの人は勝ち負けで考えてしまうと思います。
それは、学校教育の中で、勉強の順位が決まったり、競争すれば順位がつけられたり、親にはよその子どもと比較されたり(そのくせ、「よそはよそ、うちはうち」なんて・・・)
勉強が人より出来ないと本人が気付いて危機感を感じていたり、出来ないながらにどうしようか考えているのなら、「他人が人と比べてあんたは劣っている」と傷口に塩を塗ることをしなくてもいいのではないでしょうか?
決して、順位付けが悪いとは言っていません。
それは、文字通りテスト(試している)だけなので基準を得るためにやっていることに過ぎないのです。
順位は勝ち負けではないのです。あくまで基準に過ぎません。
サッカーのFIFAランキングで順位が低い国=負けの国ではありません。
テストでビリを取ったからと言って負けではありません。(ちなみに私は高2で学年ビリ2を取ったことがあります。なかなか珍しいですよね!?)
そういった基準をしっかりと受け止めて、自分の理想にどの程度足りないかの尺度の1つにすればいいのではないでしょうか?
純粋に、理想の自分と今の自分を比較して苦しむことは、きっと今を努力する原動力に繋がると思います。
人と勝ち負けを争っているうちは、相手を陥れたり、端から勝負を放棄したりするので、自身の成長にはきっと繋がりません。
「我が敵は我にあり」ます。
そういう気持ちをみんなが持てば、きっと人を下に見たり、相手を蹴落としたりというのが無くなりいじめもなくなるのではないでしょうか?
周りにばかり目を向けずに、自分に目を向けて頑張っていくことが、人生をより良くすることに繋がると私は思います。

うつ病歴3年。カウンセリングによって症状が寛解した体験を持つ。
現在は産業カウンセラーとして、個人のカウンセリングからメンタルヘルスの研修講師、行政(静岡県・静岡市)の相談員を務める。
「カウンセリングをもっと身近に」をテーマに押し付けない、負担にならないカウンセリングを心掛けています。