最近、「なんか全部がしんどい…」って思うことありませんか?
仕事も、家のことも、人付き合いも、なんか全部が重たい。そんなふうに感じる日、私もあります。
でも、あるとき気づいたんです。
「嫌なこと全部やめようとするから、余計しんどくなるんだ」と・・・
嫌なことって、全部を変えようとすると大変
たとえば仕事がつらいとき。
「もう会社辞めたい」と思っても、すぐに辞められるわけじゃないし、そのあとどうするかも不安で動けない。
そうやって“全部を変える”って、ハードルが高すぎて、かえって何もできなくなる。
私もそうでした。
「早く病気を治したい」って思うばかりで、何も変えられなくて、ただ疲れていくだけ。
嫌なことを限定できなかった時のこと
思い出すのは、体調を崩して傷病手当をもらっていた時のこと。
無理はできないけど、少しずつ外に出ようとしていた頃、友人に誘われて久しぶりに外食へ行ったんです。
でも、その友人に言われたのは――
**「そんな状態でよく来れるね」**って言葉でした。
その瞬間、すごく悲しくなったし、傷つきました。
「私は外食すらしちゃいけないのか」
「なんで誘われて行ったのに、そんなこと言われるんだろう」
って、頭の中がぐるぐるして、だんだんその出来事が大きくなっていったんです。
今振り返ると、あの時私は「嫌なことを限定」できていなかった。
“その人の言い方が傷ついただけ”という事実を、
“私は何をしても責められる存在なんだ”という風に、無意識に拡大解釈してしまっていたんです。
“限定”するって、どういうこと?
そこで後から気づいたのが、「嫌なことはちゃんと“限定”していい」ということ。
たとえば…
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「その人の言い方がキツかった」だけにして、それ以上広げない
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「この日は体調が悪かったから無理だった」で終わらせる
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「あの飲み会は自分には合わなかった」ってだけにする
“全部嫌”にしないで“その一件だけ”にしておく。
そうやって区切るだけで、心が少し軽くなります。
なんでこれで楽になるの?
人は「全部を我慢しなきゃ」と思うと、自分を責めやすくなりますが、
「ここだけは無理だった」と限定することで、自分を守ってる感覚が生まれます。
それだけで、心に余白ができる。
余白ができると、また次に進むエネルギーが戻ってきます。
最後に
頑張ってると、「嫌なことも全部受け入れなきゃ」って思いがちですが、
“全部”じゃなくて“ここだけ”をやめてみる。
それだけで、世界が少しやさしく感じられるようになります。
あの時の私は「外食する自分」を否定しかけたけど、
本当は「その人の言葉」だけが嫌だったんだって、今は思える。
だから、あなたもどうか“嫌だったこと”を必要以上に大きくしないで欲しいなと思います。
分かっていても難しいことがあれば、お話に来てみて、一緒に考えさせてください。

うつ病歴3年。カウンセリングによって症状が寛解した体験を持つ。
現在は産業カウンセラーとして、個人のカウンセリングからメンタルヘルスの研修講師、行政(静岡県・静岡市)の相談員を務める。
「カウンセリングをもっと身近に」をテーマに押し付けない、負担にならないカウンセリングを心掛けています。